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2024/01/19 17:39



【TOKYO FROZEN CURRY】は辛過ぎないカレーに仕上げてあります。
理由は美味しいと感じられる辛味の度合いは人それぞれだからです。
だから、そのままの状態であれば辛さが苦手な方にも、安心して食べて頂けると思います。

しかしながら、当然、辛さもカレーの美味しさを決める大切な要素であることは否めません。
そこで、湯せん調理後に後入れできる辛味スパイスを調達することを決めたのです。

インターネットなどを通じて情報を探ってみましたが、一食分に使用するには量が多すぎたり、
唐辛子以外に塩分のある調味料が加えられている味変用のものばかりで、純粋に唐辛子のみの辛さを感じられるものには、なかなか辿り着けずにいました。

そんな折、某所で行われた食の展示会に冷凍食品の視察目的で訪れた際に運命的な出会いを果たしたのです。
興奮のあまり思わず、ブースにいたスタッフの方に向かって「これだ!これを探していたんだ!」と叫んでいました。

商品の名は「追いハバネロ」─────

それは、福島県中通り東部に位置する人口5400人ほどの小さな村で作られたものでした。
聞けば、2011年に日本を襲った未曾有の大災害・東日本大震災後の風評被害によって、
それまで村で作られていた生産物の売れ行きにも甚大な影響を及ぼしたことで、
なにか、村をアピールできるものはないものかと生産に乗り出したのがハバネロだったそうです。
それから十数年が経過し、「激辛の村」としての認知がなされ、テレビの取材なども来るようにはなったのですが、もっともっと「国産ハバネロ」の辛さと美味しさの魅力を全国の人に知ってもらいたいという思いから、
地元企業による協力のもと、乾燥したハバネロをパウダー状にした後がけの辛味スパイス「追いハバネロ」が誕生したのです。



私は直接村を訪ねました。
平田村にある「道の駅ひらた」の売店には、所狭しと平田村産のハバネロを使用した激辛商品が並んでいます。

ちょうど、ハバネロの実が色付く季節だったので、成っているハバネロを生のまま試食させて頂くと、確かにビリビリとした鮮烈な辛みはあるのですが、その奥に確かにフルーティな甘みを感じられ、とても美味しい!
このハバネロを使ったパウダーであれば、【TOKYO FROZEN CURRY】に美味しさと辛さをプラスする最高のパートナーになってくれると確信した瞬間です。

国産ハバネロ100%のハバネロパウダー「追いハバネロ」で、
最適な辛さを見つけて、自分史上最高のカレーを創り上げてください。





当ショップでは現在OPEN記念企画として【TOKYO FROZEN CURRY】を1個お買い上げにつき、【ハバネロパウダー1袋+フレーバーオイル(いずれか)1袋】をプレゼント中です!
※ ハバネロパウダーは0.2g入り、フレーバーオイルは5g入りの小袋タイプとなります。
※ フレーバーオイルは全3種(ゆず、しょうが、わさび)のうち、いずれか一袋をお付けいたします。
※ 大変恐れ入りますが、フレーバーオイルの種類はお選びいただけません。予めご了承ください。

ぜひこの機会にお買い求めくださいませ!!

「カレーはもっと自由でいい」


タケムラダイ





平田村ハバネロ物語「愛と勇気とハバネロと!」


平田村は標高500mほどの阿武隈高地にあり、気温の日較差が大きいことから良質の農産物が生産されます。

かつては葉たばこが主生産物でしたが、現在は夏のアスパラ、冬の自然薯を柱に、多くの野菜類が生産されます。 が、ハバネロが特産物だったわけではありません。
そもそも普通のトウガラシでも調味料としてはそう大量に消費できるものではなく、ましてハバネロのような激辛香辛料は一農家に一本植えても余ります。

ところが平成23年に、何を勘違いしたのか3件の農家のおばちゃんがそれぞれ20本ほど植えてしまいました。
平成23年と言えば、いうまでもなく東日本大震災、それに続く原子力発電所事故の年です。
どうやら見た目のかわいらしさから、風評を免れることができると期待したようです。

平田村のある石川郡では6月まで出荷規制がかかっていたこともあり、大変な風評被害に悩まされ、期待むなしくハバネロも同様でした(平成22年度の道の駅ひらたの年間売上が1億7千万円ほどでしたが、23年は3千万円の減少でした)。
大量に売れ残る野菜を見て、農家の営農意欲は大幅に低下し、23年秋冬野菜の作付けが急減、当然出荷量も急減という事態になりました。
農業が主幹産業である平田村にとって、農業の衰退は死活問題です。地域振興施設として道の駅ひらたができることは何かといえば、農家を鼓舞し、営農意欲を下支えし、逆境をはねかえす方法を講じることです。
そのために、口で励ますだけではなく、東電への賠償請求事務を代行することや、売れ残った野菜を道の駅で買い上げて経済的支援をすることにしました。(私をはじめ職員の給与を削減したり、広告費を大幅にカットしたり、県の補助事業を流用したりして予算を捻出しましたが、残念ながら定価で買い上げる資力が無く、半額での買い取りしかできませんでした。)

買ったもののそれを再販できるわけもなく、加工に回して投資を回収しなければいけませんし、それを売ることができなければ次回の買い上げもできません。

「売れ残り野菜を買い上げたので赤字になりました」という言い訳は通用しないと職員を督励し、食堂で食材として使用する(例:「夏野菜カレー」野菜を消費するためのメニューなので、カレーと言うより野菜炒めのカレー味みたいな感じ)、ファストフードコーナーでアスパラコロッケやソフトクリームなどの原材料として使用する、その他の加工品にかえて販売するよう努力しました。

とにかく、農家から「こんなに残っちまってなじょすっぺ?」という相談を受けたら、まずは「わかった。道の駅で買うから心配すんな。」と答え、後でこちらが「これ、なじょすっぺ!?」と頭を抱えることの繰り返しでした。(当駅は小さな道の駅ですが冷凍庫は8つもあります。買い上げてもすぐに加工できないので、工場に回すまで保存するためです。いよいよ入りきらなくなると、かさを小さくするためパウダー化します。原料買い上げから製品となり売り出す以前に結構な経費がかかります。)

でもそれをしないと、農家の道の駅に対する求心力を維持できないと考えました。
求心力を失った組織は長続きしない。
まして震災、原発事故後の福島、高齢化が進む中山間地域ではなおさらです。

ハバネロが道の駅ひらた直売所で大量に残り(辛すぎて買う人が余りいないということも勿論あります)、「なじょすっぺ?」と相談されたときも「なんでこんなもの大量に作付けしたんだ!?」という言葉をグッと飲み込み、「わかった。全部道の駅で買うから心配するな。その代わり来年も百姓やめねえでおくれ。」と大見得を切り、いろいろと苦しみながら生まれたのがハバネロ関連商品です。

ご存じのように、当時福島の印象は原発事故の影響でまことに暗いもので、「人が入れないところがいっぱいある」、「白い防護服を着た人が除染作業をやっている」などでしたから、いっそ福島でこんなものだって作れるんだと余裕を見せた方がいいと、笑いも取れる方向性を打ち出しました。(普通、商品開発は地域の特産物を名物商品に仕上げるため、綿密な計画を立て、マーケティングなどもしっかり行った上で走り出します。ただ、われわれにはそのゆとりも資金も設備もなく、よく考えてから走り出すのではなく、「走りながら考える道の駅ひらた」で良いと思っています。毎年いくつもの新商品が出ますが、年間だいたい100万円売れなければ終売とし、次を考えます。カッコよく言えば“トライアンドエラー”、“スクラップアンドビルド”でしょうが、そんなことより目先の窮状をナントカせねばというのが基本的姿勢です。)

おかげさまで、平成24年からは黒字が続いており(24年は東電の賠償金が入ったからなので余り大きな事は言えませんが。25年からは22年より売上が多くなってしまい、賠償金がもらえなくなりました)、おかげさまで売上は順調に回復し、平成28年からは2億5千万円の売上を維持しております。

“地域の元気は道の駅から!!”がわれわれのスローガンですが、それが村民はもとよりあらゆる人に認めてもらえるように走り続けなければと思っております。

文責:ハバネロ王子 道の駅ひらた  駅長 高野(こうの)哲也



道の駅ひらた 公式サイト

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